ハサミ

○面接室。面接官が一人。履歴書を読んでいる。

面接官:はい、では次の方どうぞ
ハサミ:失礼します
面接官:腰をかけていただいて結構ですよ。(履歴書を見ながら)ええと、ハサミさん? 名字はないのですか?
ハサミ:昔からこう呼ばれていたもので…。
面接官:そんなことないでしょう。名字がないなんてよほど特殊な例だけですよ。
ハサミ:「そのハサミ取って」とか言われたことはあります。
面接官:ああ、ソノさんですね。ソノ、と…。
ハサミ:でもやっぱりハサミと呼んでいただけないでしょうか。なれない名前は妙に堅苦しくって。
面接官:ええ、構わないですよ。ではハサミさん。ここを受けられる前の職業についてなんですが、随分長いことお勤めになっていたんですね。
ハサミ:はい、もう30年になろうとしていました。
面接官:でもそこを離れたと?
ハサミ:ええ、まあ判りやすく言えばリストラですよ。最後は全く酷いもんでした。
面接官:ちょっと詳しくお聞かせ願えますか? どんな仕事を?
ハサミ:裁断です。これを30年続けました。
面接官:仕事はどうでした?
ハサミ:初めはきつかったです。新入りの頃、先輩達に辛く当たられたこともあります。特に和鋏さんには…「オマエはテコの原理がないとなにもできない軟弱ものだ」とか。私が入ったために仕事を取られてしまったのでしょう。
面接官:なるほど
ハサミ:それから「オマエはいつかハサミ焼きにしてやるから覚悟しておけ」という脅迫状が来たり。そのような辛い時期もありましたが、次第に打ち解けてきて他の仲間とも仲良く出来るようになってきました。その頃の私が一番活躍していたと思います。キンカ堂で買ってきたおろし立ての生地を裁断する瞬間は、いま思い出すだけでも興奮しますね。ミシンさんもほぼフル稼働で働いていましたし。
面接官:休みなしですか? それは大変でしたね。
ハサミ:しかしそれなりに充実した毎日でしたから。それが、仕事を始めてから5年くらい経ってからの話でしょうか。私が一番輝いていた時期だと思います。それが、あんなことになろうとは……。
面接官:どうなさったんですか?
ハサミ:新入りが入ってきたんです。ステンレス製ハサミの。
面接官:その人はどんな印象でしたか?
ハサミ:軽薄な感じがしました。実際、私よりもずっと軽かったです。しかし、軽いのは使いやすいということになり、私よりも重宝されるようになってきました。私の仕事は、日に日に減ってゆきました。しかしそれだけではなかったのです。
面接官:どういうことですか?
ハサミ:ステンレス鋏さんにたいして和鋏兄さんが不快感を示したのです。彼自身、私よりも仕事が減っていたのですから、フラストレーションが溜まっていたのでしょう。そのときの彼の仕事といったら、ほころびを取るくらいのものでした。彼はその不快感を私に言ってくるようになりました。同じ洋鋏同士なんだから、なんとかしろと。
面接官:何とかできたのですか?
ハサミ:もう世代が違いますから、そうは簡単にいくものではありません。私だってどう対処してよいものかさっぱりわかりませんでした。それでもステンレス鋏さんに対して注意を促すようにしたのですが、それがかえって逆効果となってしまったのです。和鋏はロクに仕事もないくせによく言う、と。私は仲介役を務めるつもりだったのにお互いの突き上げを喰うようになってしまいました。まさに…。
面接官:板挟みですね。
ハサミ:(ムッとしたように)いや、両バサミです。そんな日々が続く中、私はすっかり疲れ、サビてゆくようになりました。その一方でステンレスの方と言えば、まったくその気配を見せず買った当時と同じだったのです。私のほうといえば、「昔ほどのキレがなくなった。昔はカミソリと言われていたほどに切れていたのに」などとぼやかれるほどになりました。まあ、ハサミにカミソリというのはおかしい話ですが。
面接官:それは年を取れば昔のようにはいかないでしょう。
ハサミ:そんなとき、私は配置転換させられるようになりました。それもなんの断りもなく。担当した部署は庶務課だったと思います。
面接官:どんな仕事を?
ハサミ:まあ、なんでもです。お子さまの工作であったり、爪切りだったり。ただ、醤油の袋を切らされたときには閉口しました。匂いがこびり付いて取れないのです。また、そのような使い方でしたから、サビも広がってゆくようになりました。その結果、私はさらにぞんざいに扱われるようになっていきました。
面接官:と言いますと?
ハサミ:あからさまに切れないと言われるようになりました。特に子供というのは恐ろしいものです。私の目の前で切れない、切れないと言いますから。切ることが仕事の私にとって切れないと言われることがどれだけ辛かったことか。
面接官:それは辛かったでしょうね。
ハサミ:それだけではなかったのです。ついに私にとって重大な事件が起こってしまったのです。
面接官:と言いますのは?
ハサミ:ある日、お子さまが例によって私を使って工作をしていたときのことです。そのときもやはり切れない、切れないと言っていたのですが、それを見かねたご主人が私を手にとって切り始めたのです。さすがに大人ですから、切れ味が違うのです。それを見ていたお子さまがなぜそんなに切れるの? と聞いたのです。それで…(涙ぐむ)
面接官:話すのが辛いのでしたらもうその辺で…
ハサミ:いえ、続けさせてください。なぜそんなに切れるの? という問いかけに対してご主人はあろう事かこんな暴言を言ってしまったのです。それは使い方がまずいんだよ。知っているか? 「バカとハサミは使いよう」なんだよ、と。なんだ私はバカと一緒か。キレがなくなったというのはまだ許せるが、バカとはなんだ。ここまで自分を落胆させた言葉はありませんでした。
面接官:それで退職を?
ハサミ:退職というか、飛び出してきました。結果的には解雇と同じだと思います。
面接官:わかりました。では我が社に入って、何をしたいと思っていますか?
ハサミ:何をしたい? 私に出来ることなどもうありません。ただ私はなぜこういうことになってしまったのかという吐露を一人でも多くの人間に聞いて欲しかっただけですから。それと…。
面接官:それと、なんですか?
ハサミ:復讐ですよ。人間に対する。もう私の人生は長くありません。その前に一人でも多くの人間に対して復習しなければなりません。ええ、山下家のようにね…。そうですよ、あの事件は私が起こしたものです。しかしあなたにこのことを話したからにはもうここにいて貰っては困りますね。貴方のことは嫌いではありませんでしたが、運が悪かったと思ってください。
面接官:つまり、私を殺そうと?
ハサミ:判りやすく言えばそうです。さあ、貴方も…気を楽にしてください。もう私にはなにも怖いものなどないのです。貴方を殺すことくらいなんでもないのですよ。
○ゆっくりと面接官に近づくハサミ。
○突然、ドアを蹴破って面接室に刑事が二人登場する。ピストルを構える。
刑事A:そこのハサミ! 今の話はすべて聞かせて貰った! 貴様を傷害容疑で逮捕する! これが逮捕状だ!
刑事B:大人しく命令に従いなさい!
○ガクリ、と膝を落とすハサミ。大粒の涙をこぼす。
ハサミ:これで良かった…これで良かったんだ。これで。もう罪を重ねたくなかったんだ…。
面接官:…私もそう思いますよ。貴方はそんなに悪い人じゃないはずだ。
ハサミ:そんな?! 私は貴方を殺そうとしたのですよ!
面接官:そんなこと出来るはずもないと思っていましたよ。
ハサミ:うううう(号泣する)
○しかしまだピストルを構える刑事二人。彼らにはまだ緊張感があり、ピストルを降ろそうとはしない。面接官、なだめるように
面接官:もうよしてください刑事さん。これでは…挟み撃ちではないですか。